どうも、ぐっさんです。
また元寇関連の史跡を見てきました。今回行ってきたのは早良区西新にある西南学院大学。九州の慶応大学とも言われる頭のいい大学なんですが、そのすぐ近くと敷地内と元寇防塁があるんです。
これまで祖原公園、地行と見てきて、どちらも当時の痕跡を形として見ることはできなかったので、実物大の元寇防塁を見て少し興奮しました。
元寇防塁跡と元寇神社
西南学院大学の体育館の南側にちょっとした緑地があり、そこに元寇神社があります。
元寇神社はおそらく元寇で戦死した人を祀っているのではないかと思われます。
そのすぐそばに「史蹟 元寇防塁」と書かれた石碑と元寇防塁があります。
説明書き。
「(前略)
防塁は各国の分担地区によってその構造が違うことがわかっています。石材は近くの山や海岸などから運び、全体を石で築いたり、前面だけを石で築くなどの工法が採用されています。高さは2.5m~3mほどと考えられます。
この西新地区(当時の百道原)分担国は分かっていません。防塁の構造は粘土による基礎工事を行い、基底部幅3.5mの前面と後面に石積みをし、その間を砂と粘土でつめています。石材の節約をはかった独特の工法となっています。
1281年元は再び日本を攻めましたが、この元寇防塁や武士の元船への攻撃にはばまれ、博多の地には上陸できませんでした(弘安の役)。
(後略)」
と書かれています。
これが元寇防塁です。高さは1mと少しといったところでしょうか。
正面から見るこんな感じです。
元寇防塁に使われた石の大半は福岡城築城のために失われたそうなので、もしかしたら、ここの石も築城のために使われたのかもしれません。
この周辺は松の木が多く、かつて海岸線だったことがなんとなくわかるような気がしました。
西南学院大学内にある元寇防塁
元寇神社からすぐの場所にある、西南大学第1号館の館内に元寇防塁が保存されています。
1999年に第1号館を作る際、約20mに及ぶ元寇防塁の遺構が発掘され、それを館内に移築保存したそうです。
遺構が発掘された時の様子です。
館内にはこうしたパネルが何枚かあり、防塁のこと、元寇のことなどが学べます。
これが復元した元寇防塁。
復元されたものなので当時のものというわけではないですが、なかなか迫力がありました。
手前に見えるのが高さ2.4m、幅3.3mの石塁。1m間隔を置いて奥に見えるのが高さ1.3m、幅1.5mの土塁。石塁が海側に築かれています。
このあたりの防塁は石塁と土塁の二重構造だったようです。
西新地区の説明書きにあったように、元寇防塁はいろいろな国が分担して造っているため、場所によって築造方法が異なります。なので、すべてがこのような二重構造というわけではないそうです。
下に降りて間近で防塁を見ることもできます。
石塁は砂地に粘土層の土を敷いて、その上に石を積み重ねていたそうです。
土塁。
粘土と砂を交互に積み重ねてあったそうです。
この石塁の奥の下の部分は出土した石積みを使用しているそう。
この赤い部分が出土したものを使用しているところだそうです。
せっかくなので、反対側からも撮ってみました。
これだけの高さがあれば、すんなりと上陸することは難しそうです。
この防塁が今津から香椎まで20㎞も続いていて、なおかつ半年で築かれたのはすごいとしか言えません。
というわけで、西新地区と西南学院大学内にある元寇防塁を見てきました。
特に、西南学院大学第1号館内にある元寇防塁は見ごたえがありました。パネルやパンフレットもあっていい勉強にもなります。
平日は一般公開されているので興味のある方はぜひ行ってみてください。
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