どうもぐっさん(@goodsun_30)です。
久しぶりに元寇防塁を見に行ってまいりました。
今回は生の松原。なんともアクセスしづらい場所にあるんですが、立派な元寇防塁がありました。
生の松原地区の元寇防塁
生の松原というだけあって、このあたり一帯には松林が広がっていて、その間に唐津街道が通っています。
この松林を抜けた海岸沿いに元寇防塁があります。
最寄りは電車だとJR筑肥線下山門駅(徒歩で約10分)。駐車場はないので車だと小戸公園に停めるのがいいと思います(徒歩10分)。
唐津街道沿いにこのような看板があるので、ここから松原の中に入ります。
少し歩くと石碑があってその先に元寇防塁があります。
約50m続く元寇防塁
石碑から少し歩くと、長さ約50m元寇防塁が現れます。これまで、西新、百道、小戸、地行と見てきましたが、一番長い元寇防塁です。
生の松原の元寇防塁は昭和43年から発掘調査と修理・復元が行われ、現在の状態になったようです。
防塁は海側に約2.5mの石積み、後ろを土と砂で固める構造になっています。
また、前面の石材は、西側が長垂海岸に見られるペグマタイト(巨晶花崗岩)、東側は小戸岬一帯の砂岩ときれいに分かれています。
よく見ると東西で色が変わっている部分があるので、そこが分け目なのかもしれません。
裏側の様子。
構造どおりしっかりと土で固められています。
ちなみに元寇防塁の構造は各地で違っていて、石積みだけだったり石積み+砂、粘土、土など、担当した地区の御家人によってかわります。(画像は百道地区の説明板)
生の松原地区の元寇防塁は肥後国(現在の熊本県)が分担し、御家人たちは所領田地1町につき1尺の割合で築造したそうです。(案内板参照)
蒙古襲来絵詞に描かれた元寇防塁
生の松原の元寇防塁の正面には「蒙古襲来絵詞」の絵と説明書きがあります。
なんでもこの絵巻物は生の松原で元軍と戦った肥後国御家人竹崎季長の様子を描いたものらしいです。
生の松原地区の元寇防塁は、肥後国が担当して築造し、警備しました。当時の石築地(元寇防塁)と「弘安の役」の警備の状況を示すのが『蒙古襲来絵詞』(『竹崎季長絵詞』とも呼ばれている)です。
(中略)
下巻のはじめに、ここ生の松原地区の元寇防塁の前を、従者を従え、馬で東へ進む竹崎季長の姿を描いています。防塁の上には菊池武房をはじめとした肥後の武将が戦闘態勢で、海の方を見つめています。
(後略)
歴史の教科書でしか見ない絵の場所に自分が立っていると考えると、なんだか不思議な気分になれました。
振り返ると綺麗な景色も楽しめます
防塁の後ろ側はもちろん海です。ここはしっかり護岸整備がされているので、ちょっとした散歩コースにもなっています。
海はきれいで、夕日を眺めることもできますよ。
さいごに
というわけで、今回は生の松原の元寇防塁を見てきました。
若干行きづらい場所にある生の松原地区の元寇防塁ですが、僕が見た中では西南学院大学内にあるものと同じくらい立派でしっかり整備されていました。
興味のある方は散歩がてらにでも見に行かれてみてはいかがでしょうか。
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