どうもぐっさん(@goodsun_30)です。
ランニングがてら小戸公園の元寇防塁跡を見に行ってきました。
向浜地区の元寇防塁
向浜地区の元寇防塁はヨットハーバーの裏あたり、小戸公園の中央駐車場のそばにひっそりとありました。
散歩道のような場所で特に目立った防塁跡もないので素通りしてしまう人も多いと思います。
向浜地区の元寇防塁は低めの杭で囲まれています。
見ての通り、ただの松林で防塁があった面影はほぼほぼありません。
四隅には「史跡境界線」と書かれた小さな石がありました。
杭もこの石も控えめなので説明書きに気づかないとなんのために囲われているのか全く分かりません。
実際、僕はこの場所を何度か通ったころあるんですが、「なんやろ、ここ」くらいにしか思わず素通りでした。
元寇防塁跡に必ずあるこの石碑。
これも隣の木と同化している感じだったので全く目立ちません。
側面には「昭和六年十月建設」と書かれていました。
元寇防塁が国の史跡に指定されたのが昭和六年なので、その年にすぐ建てられたことになります。
肥前国担当の元寇防塁
「(前略)
この姪浜地区 は、肥前国が分担して、西の十郎川付近から小戸を経て愛宕山に至る区間に築きました。昭和はじめの調査では、ここ向浜の防塁の構造は、前面に石積し、後方を粘土で固めていたと報告されています。
(後略)」
元寇防塁は九州各地の御家人たちが分担して作ったわけですが、この向浜地区の防塁は肥前国の御家人が担当したようです。
すぐそばのマリノアシティ裏にある脇地区の元寇防塁も肥前国の担当だったので、姪浜地区一帯は肥前国が担当していたんでしょう。
ただ、脇地区の元寇防塁は石だけで築かれていたのに対して、こちらの向浜地区は前面は石積み、後方は粘土で固めてあったようなので脇地区に比べると頑丈な作りになっていたようです。
同じ肥前国が作ったものでも違いが出るのは興味深く感じます。
福岡に残る元寇関連史跡~西区小戸・脇地区(マリノアシティ裏)の元寇防塁~ – ぐっさんのぶろぐ
じっくり見ると若干の盛り上がりが
説明書きがある反対側を撮ってみました。
写真ではわかりにくいんですが、若干の土の盛り上がりがありました。
石も全く転がっておらず、柵の中にあるのは松の木だけなのでなんとも味気ない元寇防塁跡ですが、なんとかそれらしきものが確認できてよかったです。
さいごに
というわけで、小戸公園の元寇防塁跡を見に行ってきました。
小戸公園は伊邪那岐(イザナギ)の神の「みそぎ祓」をしたとされる小戸大神宮もあるので歴史散策がてら寄ってみてください。
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